仕事の奴隷だった金物屋時代 別事業で起業した理由 私の経歴

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仕事の奴隷

世界三大がっかり土産

一昨日、七賢という酒蔵に言ったお話しはしましたね。

で まあ 酒蔵の話しは置いといて、その七賢の入り口の前
旧甲州街道沿いに 山梨土産で有名な、
信玄餅 の 元祖 という店があるんですね。

あなたも一度はお土産にもらったり、
買ってきたりしたことがあるでしょう。

でも それはほとんど 桔梗屋 の信玄餅。

 

私も知らなかったんですが 元祖はこちらの
金精軒 なんだそうです。
へえ って感じですよねぇ。

仕事の奴隷

仕事の奴隷

仕事の奴隷

 

私はこの信玄餅 結構 好きなんですよ。
ちょっと食べにくいけど。

 

でね 私の中で 世界三大がっかり土産
ってのがあるんだけど 聞きたい?

 

よく 世界三大がっかりスポット って言いますよね。

何だったかな

シンガポールのマーライオン
コペンハーゲンの人魚姫
ブリュッセルの小便小僧

かな。

 

それと同じようにもらってがっかりな
世界三大がっかり土産

これは あくまでも個人の好みなので
地元の方がいたら 怒らないでくださいね。
(と言っても怒るか?)

 

さあ なんでしょう?
答えは 明日のブログで・・・・

 

よかったら あなたの世界三大がっかり土産 教えてください。
私のとドンピシャだったら 豪華景品を差し上げちゃいますよ。

 

ヒントは 日本 真ん中当たり と 南の方 で2点
近いアジア 1点 です。(世界とは言えないか)
たぶんあなたももらったことがあるのでは・・・
そのくらい有名です。

ぜひ このブログの一番下 コメント欄で
あなたの世界三大がっかり土産を教えてください。
お待ちしています。

さて 今日も脇道から入りましたが 本題です。

仕事の奴隷だった金物屋時代

 
昨日は 私の人生の中で 一番いい加減な時期
大学時代の話しをしましたが
すぐに その報いが来ます。

 

そんなスキーで知り合った
(バイト時ではなく スキー部の後輩の高校の同級生)
今の女房と結婚して
父の店の創業の地 横浜の下町を飛び出し
藤沢に支店として 新たに店を構えます。

 

大学時代 父は 好きなことをやらせてくれました。

ですが 元々厳しい父ですから
社会人になったら そんなことは許されません。

 

遊んだ話しばかりしてきましたが
実は 高校3年の夏で野球が終わった時から
大学時代も 鋸の目立て の修業をやらされていたんです。

 

だから 店に入って 2~3年で
ほぼ 一人前に近く 仕事はできるようになっていました。

建設ブームですから 仕事はいくらでもあります。
というより 嫌になるほどありました。

 

なので 休みは 月に2日だけ
あさ7時に店を開けて
夜9時に店を閉める。

店を閉めても 仕事がたまっているので
11時近くまで仕事をしていました。

 

藤沢に店を出しても 同じ生活

でも 横浜の店は 狭いんです。

もう 別に住まいは買ってあったので
そっちに住んではいたけど
店をなんとかしたかった。

 

でも 横浜の街の中では 未来はないな
ということで 郊外の 藤沢 湘南台に
最初 支店という形で店を出します。

 

働きましたよ。

 

横浜の父の元では 働かされている
って感じだったけど
藤沢の店は 支店とは言え
独立採算で 自分の店です。

 

店出してすぐにお客さんが来るわけもなく
毎日ではないけど 朝 5時に起きて 横浜の父の店に
出来た仕事を届けながら 仕事をもらいにいって
店番しながら 夜は11時頃まで仕事をする。

1年間 休まなかったですね。

 

営業に出る

そんなことをしているうち
一年後に隣の家が売りに出ます。

 

いいきっかけ と 横浜を処分して
父も 藤沢に移ってきますが
そうなると 横浜の今までのお客さんが来てくれ来てくれ と。

で 横浜まで行きながら 地元で営業に出るようになります。

 

この時に 学生時代の経験が役に立つわけですね。

私は就職をしたことがないので
営業のやり方なんて教わっていません。

便所のフタ売りの経験がなかったら
飛び込み営業なんて 出来なかったかもしれません。

そんなんで 営業をしながら
店では 鋸の目立てと 機械の修理をやっていました。

 

が すぐにお客さんが増えて
営業には出られなくなるんですが
横浜へは 今までお世話になったお客さんを
ほっぽっておくわけにはいかないので行き続けます。

 

もう ほんとに忙しくて
あの時期が 私の人生の中でも
一番 忙しかった時期ですね。

でも お金にはなりました。

当時は従業員も雇っていなかったので
入ったお金は すべて 私を筆頭に
家族4人の給料にできましたから。

 

奴隷になる

 

ところが もう ほんとに忙しいんです。
父も仕事はしていましたけど
私が次々に新しい商品を取り扱うようになると
ついて来れなくなります。

 

なので ほぼ 私が一手に引き受けることになってしまう。
女房ができる女なので(それを見越して結婚した ウヘヘ)
よく手伝ってくれたのが救いでしたが。

 

そんなわけで トイレに入っていても
食事をしていても
呼ばれるわけですよ。

私じゃないとわからないので。

 

言ったように 父は厳しい人なので
トイレに入っていようが
食事をしていようが 休ませてくれません。

 

そのうちにどうしようもなくなって
従業員を入れるんですけど
最初のうちは やっぱりわからない。

そうなると 今度は 社長 社長 と。

気が休まる間もない まさしく 仕事の奴隷状態ですね。

 

それが 後に 金物屋を廃業して
今の仕事を始める動機になるのですが
その時は そんなことは考えてもいません。

これが当たり前だと思っていましたし
儲かってはいたので 週一で定休日を設けて
それでも かなり遊ぶことができるようにはなっていました。

 

若かったから 仕事にも遊びにも
全力投球できていた時期でした。

 

建築確認申請の厳格化とリーマンショック

 
忙しい思いをして 人一倍働いてはしていましたが
もう ほんとに 何の苦労もなく
集客 なんてやったこともなく
順調に 店は成長していきます。

 

が、、、、、  恐ろしい転機が陰のように忍び寄っていました。

 

2007年の建築確認申請の厳格化と
2008年のリーマンショック

これには 私も参りました。

売り上げが半分になっちゃうんですから。

 

さらに 追い打ちをかけるように
建築確認申請の偽装から端を発して
手抜き工事をしないように
元請けが 材料を支給するようになります。

指定された材料を使わないで
安い材料にするとか
数を減らすとか の手抜き工事ですね。

 

それによって 元請けとメーカーが直接取引をするよになり
我々業者を飛び越えて行ってしまいます。

これが 影響としては一番大きかったですかね。

この影響で 多くの金物屋が廃業していきます。
次回で 私が金物屋をやめて今の仕事を始めた理由に
やっとたどり着きます。
 
熟年起業家を業界の第一人者へ!!
熟年本気起業もんべや

 
↓ コメント欄から あなたの世界三大がっかり土産 教えてください
  

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